豊浜トンネル岩盤崩落事故から20年

 今朝、池上彰さんが「豊浜トンネル事故」を取り上げていた。20年も経つ。トンネルの岩盤崩落で中央バス19人、後続車1名が閉じ込められて全員死亡。通学生、通勤者、病院に行く人などが乗っていた。人口3,500人の町はほとんどの家が親戚だ。
 
 テレビ中継される現場の天候は荒れていた。救出に最大限の努力が重ねられたが、できなかった。町の人たちはもちろん画面を観ていて胸が痛くなった。近所の知り合いの子どもも含まれていた。被害者家族がテレビに出るたび、言葉を失った。
 
 崩落した豊浜トンネルは二代目だった。いまは山側に三代目の新トンネルが開通。古平側出入口には慰霊碑が建てられている。その脇には町のシンボル、セタカムイ(犬の神)の奇岩がそそり立っている。この岩にも悲しいアイヌ伝説がある。
 
 崩落したトンネルはそもそも危険防止から作られた。初代豊浜隧道は途中で大きく屈曲していて、竜仙洞という自然の海食洞の中を通り抜ける特異な構造だった。
この穴から古平の丸山をみて、帰郷を実感した。老朽化が顕著だった。
 
 かつて余市から古平・美国までは船便が通う難所だった。海岸に沿って国道229号線が開通、人々は「海岸道路」と絶賛した。ローソク岩はじめ奇岩も多かった。いまはトンネル続きになって何も見えないが、悲惨な事故はコリゴリだ。