「かわたれ(彼は誰)」

日没が早くなり、黄昏(たそがれ)をショートカットするように一挙に暗くなる。夕方、あらためてそう感じた。薄闇がしだいに濃くなる時間が「誰ぞ彼(たそかれ)」だ。人生の黄昏時などともいう。その反対に明け方の薄闇を「かわたれ(彼は誰)」という。
 
学生時代に覚えた。学生寮では棟毎にチームをつくって、早朝ソフトボール大会をやった。それを「かわたれ野球」と呼んでいた。新入寮生を歓迎する企画の一部だった。たしか朝6時から始まり、先輩たちが懸命に打ち、走った。眠たい目で参加した。
 
「かわたれ」はもはや死語だ。「たそがれ」という言葉に年配者は自分なりの意味を重ねるが、若者たちはどうだろう。いま言葉はデータ化・標準化されているので、使われなくなるだろう。デジタルはすべてをそぎ落としていく。言葉も貧困化が進む。