帰郷(最終回)―久末家のルーツ

 今回の帰郷で最大の目的は、兄妹でこれから先の「家」と「墓」をどうするかという話し合いだった。わたしも弟妹たちも60歳を過ぎているので、将来の実家のあり方、墓の守り方について意見交換した。全員が思っていることを初めてすべて言葉にし合った。ほぼ予想通りだった。
 
再来年が母の27回忌で、翌年が父の50回忌に当たる。わたしの体調にもよるが、来年か再来年に父の法事を繰り上げて母の法事と合わせて行う。この父母一緒の法事をもって身内全員での法事は終りとする。そんな方向が決まった。兄妹ともに一安心した。手続きは順次進めていく。
 
もう一つの目的があった。「久末」のルーツを調べることだ。父が早く亡くなったので、聞く機会がなかった。札幌の久末家でルーツを調べていたので、Kさんに会って説明してもらった。こちらの久末の先祖も上ノ国村(現在、上ノ国町)だった。古くから松前藩主(松前氏の祖は若狭武田氏)に仕えてきた家系だという。
 
わが家では下の妹が父母の戸籍書類などを保管している。彼女は意外に多くの資料を出してくれた。父の5代前まで分かった。やはり上ノ国村であった。札幌の久末家(以前は古平)とはそのすぐ前の代で交わりそうだが、確定できなかった。今後、Kさんと情報交換することになった。
 
 わたしの母は古平で父と結婚したが、母の妹も古平にいたころの久末家の長男に嫁いでいる。二重にクロスしている親戚関係なのだ。Kさんがつくった家系図を見せながら、「久末家はかつて女系家族のようです」と言ったので、わたしも「我が家も以前は女系家族でした」と応じた。一致した。