ガリ版刷り「浅間新聞」昭和6、7年分

「それでも地球は回る」、そう述べたのはガリレオだったろうか?刻一刻、未来が過去に変わり、過去が未来を開く。明らかに時計の針がどちらかに回り始めている。そんな感じを抱かせるここ数日だ。13日、Tさんの父上が残したガリ版刷りの新聞のことをこのブログで書いた。その数行から扉が開き始めた。
 
その夜、久喜市の友人Hくんから「その新聞に興味がありますね」とメールが入った。かつて彼がかかわりのあった会社が復刻出版を行っている。戦前から戦後にかけての機関紙や文芸誌etc。「当時のこの会社社長とは面識がある。彼に話せば『ぜひ見てみたい』というだろう。それだけの歴史的価値があるかもしれない」。そんな内容だった。
 
Hくんは昔から古書蒐集(しゅうしゅう)を続けてきた。それで彼の言葉に驚き、思わずうなずいた。翌朝、Tさんに電話でそのことを伝えたら、彼も半信半疑ながら興味を示した。数日後、Tさんはその新聞をわが家に持参して、わたしに見せてくれた。「浅間新聞」昭和6,7年分のファイルだった。ガリ版刷りなので一部劣化しているが、ほぼ読める状態だ。「浅間」とは当時の巡洋艦のことか?
 
Hくんにその内容を連絡した。彼は出版社とコンタクトして、その新聞についてヒアリングをしていた。元社長は今は沖縄にいるとのことだった。昨夕、携帯に電話が入った。「編集長が現在、沖縄から東京に来ている。一緒に行くかもしれない」。来週火曜日(26日)お昼にHくんが坂戸に来てTさんに会い、新聞を見せてもらう。それに元編集長が同行するかもしれないというのだ。
 
Hくんの最新メール。「昭和7年のころの新聞というとその年上海事変が起こり、翌年には満州事変と中国への抜き差しならぬ行動が行われた年にあたりますね。私の姉も昭和20年、青島で生まれてます。0才で青島から家族4人で舞鶴に上陸、母の実家の札幌に引き揚げています」。Tさんも同年、海南島で生まれ、佐世保に引き揚げて北海道・恵庭で育った。似た境遇だった。
 
昭和7年から平成26年の長い時の間に、微(かす)かな線のようなものが浮かび上がってきている。もちろんTさんとHくんは初対面だ。ましてや元編集長が来れば…。どんな展開が待っているか!? 26日(火)、北坂戸・中華料理「龍門」でのお昼ご飯から始まる。過去と未来の交錯をじっくり楽しませてもらう。Tさんの父上が新聞を通して何かを伝えようとしている。