昭和7年、チャプリン来日

   昭和7年、チャプリンが来日した。今朝の「花子とアン」でもそのことを報じていた。この放映をみていて、Tさんが先日、「父の残した『浅間新聞』にチャプリンが来日したとの記事が出ている」と話したことを思い出した。来日したのは5月14日。翌日に五・一五事件が起きている。彼は「廃退文化の元凶」として首謀者たちから狙われていたという。
 
 チャプリンの反資本主義的(共産主義的)姿勢を、当時の日本軍部は排除しようとしていた。そんな思想統制が強まりつつある時代だったことが改めて分かる。来日したチャプリンを約4万人の人々が東京駅で熱狂的に出迎えたという。海軍の「浅間新聞」のなかではどのように書かれていたのか?  26日に、Tさんにその記事をみせてもらうつもりだ。
 
 はなの兄・吉太郎は憲兵、妹・かよは織物工場から脱走、下の妹・ももは嫁ぎ先の北海道から憔悴しきって逃げ戻った。花子の家で冷蔵庫とガスの火に驚くももの姿は、北海道開拓の悲惨さを伝えている。そんな圧迫感の強まる時代の中で童話を翻訳し、ラジオで「コドモノ新聞」を放送する花子。四人の兄妹と蓮子など一人ひとりが暗くなっていく時代背景を担っている。
 
  美輪明宏による「ごきげんよう、さようなら」のナレーションの意味は、毎回、深いわけだ!!