松岡洋右「国際連盟総会から退場」(昭和8年)

 昨夜のNHKBSプレミアム「昭和の選択」は、松岡洋右による「国際連盟脱退の決断」。昭和8年(1933年)の出来事だ。これまで国際連盟脱退は、満州事変や満州国建国をめぐり日本の主張が受け入れられないので、自ら進んで脱退したというイメージが強かった。
 
番組では、最近の研究によって、政府が当初考えていたのは「脱退回避」だった。しかも脱退という最終決断は、国際協調や経済制裁回避のための苦肉の策だったという側面がわかってきた、と説明した。なぜ日本はこうした真逆の選択をするに至ったのか?
 
磯田道史(司会)、加藤陽子井上寿一、小谷賢、宮崎哲弥の各氏が出演。
 
全権大使・松岡洋右の視点から、日本がこの重大な「選択」に至った過程を検証。論旨はこうだった。「実はわが国の満州での権益は承認されていたのに、官僚は交渉を切るのが早かった。内科的外交が閉ざされたために、外科的外交=戦争の道に進んだ」。
 
松岡が総会退場して帰国の際、新聞も国民も「良くやった」と熱狂した。底流には時代の閉塞感があった。松岡自身は「(国際連盟総会を)脱退したことで自分は失敗した」と謝罪したが、その声は「松岡全権大使、凱旋」の大歓声でかき消された。日本の孤立化が進んでいく。
 
NHK朝ドラ「花子とアン」で世論形成・宣伝メディアとしてのラジオが登場している。花子の兄(憲兵)が鉱石ラジオを花子の子供・歩に贈った。そして、花子はいま厳しい規制の中で「コドモノ新聞」を放送している。日本が時代の波に大きく舵を切っていく真っ只中だ―。