「記憶に残る人」からの年賀状

   大宮のMさんから年賀状が届いた。年が明けてから書くので毎年1月10日前後に届く。昔からこだわりの人だ。いま振り返れば「記憶に残る」人物で、懐かしい。
 
 「そろそろか否(いな)まだまだかと傘の春」 とうとう八十歳になっちまう! 子ども3人孫8人、わが人生まあまあだった、というべきか……? 「追憶」と「独白」の日々を送っています なつかしいなぁ…会いたいね 貴兄のふるさと自慢、また聞きたい」
 
 かつてMさんが編集長を務める大手医薬品メーカー・PR誌のライターに起用してくれた。全国の医師から街の歴史・風土、趣味などを取材した。原稿が上がるたび文章について喧嘩した。表現の巧みさはMさんの方が数枚上手だった。
 
 日本橋高島屋の近くの事務所に通うことで、反抗しながらも多くを学んでいた。激しい言い合いの後は「Qちゃん、『たいめいけん』でメシでも食うか!」と誘われ、食べた後は飲みに連れて行かれた。 銀座、六本木、大宮とハシゴ癖の人だった。
 
 早稲田・露文卒で独自の文学観をもっていた。乃木坂の小さなバーで吉祥寺のMさんと三人で飲んでいたら、ロシア詩人ネクラーソフ「だれにロシアは住みよいか」(論創社、1993年)の訳者が来店した。Mさんの一声で全員買った。書棚にある。