「献体」(クローズアップ現代)

 昨夜のNHKクローズアップ現代」をみてからずっと考えている。自分の遺体を提供する「献体」が急増している。タイトルは「私の遺体 提供します~増える献体 それぞれの選択~」。大きな動機が「親(自分)の死後、墓の管理などで家族に迷惑をかけられないから」。その発言になぜか納得できなかった。結果と動機が逆ではないか。
 
これまでは医学への貢献が目的で献体されてきた。それが一部変化して「残された者に迷惑をかけないし、医学への貢献もできるのでスッキリと安心して死ねる」との人たちも現れてきた。コメンテータは、「墓を含めた死後の選択が従来の一つではなくなってきた」と指摘した。いわば、死に方の多様化が進んでいるのだ。
 
核家族化、高齢化、葬儀のあり方、墓地問題、死の意味(宗教的)など変化がこうした傾向を加速させている。大学の中には、献体した人の遺骨を納める納骨堂を用意しているところもある。もしも「社会に役立つ」で自らを納得させてそのような「献体」という合理性を選んでいるのであれば、歪んでいるよう気もするが…。
 
さすが「クローズアップ現代」、鋭い問題提起だ。かなり前だが、わたしの年上の友人がガンで亡くなった。本人の希望で「献体」された。葬儀も埋葬もふつうに行われて、みんながその友人を敬った。時代が変わっているが、今、この問題の主体はわれわれ世代だ。