詩人・長田弘、逝去

   昨夜のニュースで詩人・長田弘の死去(3日)が報じられた。75歳だった。若い頃に買った長田氏の数冊の詩集とエッセーがどこかにまぎれている。本と資料の2階から下への引越し・整理中のダンボールに息子が入れてしまったので、いま確認しようとしたが無理だった。この詩人は自分に劇的な衝撃を与えなかったが、表現の仕方では気になる一人だった。
 
 訃報が流れたとき、「今朝の朝日新聞『折々の言葉』(鷲田清一)で取り上げられているのに」と独り言をつぶやいた。こうだった。「見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるようにするのが、詩だ」(長田弘)。詩人は人間の真理を断面で示す。ビジブルとインビジブル(見えるものと見えないもの)=人生の本質を、彼独自の分かりやすい言葉で表現した。
 
 朝日・「折々の言葉」は毎晩切り取り、銀座・教文館の大きなビニール袋に入れている。昨日の長田氏の言葉は39回目だった。寝る前にこれまでの分をテーブルに広げて掲載順に重ねた。1回目は大岡信の「涯(はて)は涯(はて)ない」。かつて大岡の初期の詩に衝撃を受けて、詩作を試みた。今は浮世の見過ぎで、眼も心もすっかり錆びついてしまって書けない。