「禍福は糾える縄」

 
「禍福は糾(あざな)える縄の如し」、「禍と福は紙一重、すぐ裏返る、司馬遷史記』の記述に基づくことわざ」とある。今朝の朝日「折々のことば」から。このコラムを見た瞬間、向田邦子の脚本やエッセイ、そして彼女の起伏に富んだ短い人生を思った。
 
 向田はドラマの脚本やエッセイで、日常のありふれた場面に隠されている一人ひとりの悲喜こもごも、心の奥襞(おくひだ)を描いた。仰々しくなかったが、きわめて印象的に浮かび上がった。読後に思った。「人生は平面でなく、立体で動いていく」と。
 
 禍福の縄は立体的で螺旋状に糾われている。幸せのあとに不幸せがと交互に来るのではない。糾えるということは、幸せの中に不幸せが紛れ込んでいるし、不幸せの中に幸せが入り混じっている。この明暗はもつれながら同時進行しているのだ。
 
 我々は悲喜に激しく揺さぶられるが、彼女は冷静で、温かな視線を外さない。彼女が好んだもう一つの言葉、「天網恢恢疎にして漏らさず天の網の目は荒いようでも、悪事を掬いもらす様な事はなく、悪事には必ず報いがあるという事。天は見通しているという事」(老子)。