写真家Tさん、野菜持参で来訪

  土曜日午後、ピンポーンが鳴ったのでモニターを見ると、なんと隣の高坂に住む写真家・Tさんの顔だ。7、8年ぶりなのでむりやり家に上がってもらう。Tさんは手作りの野菜を一抱え持参してくれた。売り物よりも立派なほうれん草、玉葱、春菊、レタスなど。ありがたく頂戴した。
 
以前から畑仕事をしていたが、いまは30坪の畑で四季折々の野菜を作っているという。77歳だというが、浅黒く日焼けした顔はたくましかった。写真を取り扱うように真剣にきめ細かく作業していることが容易に想像できた。自分が納得するまでやり切る性分だ。帯広市出身。
 
40代初めの頃、5年間一緒に取材で全国を巡った。大手製薬会社のPR誌で各都市の医師会会長や郷土史に強い医師などから話を聞いた。その往復の飛行機や新幹線の中でTさんから多くの話を聞いた。経験から言えば写真家、カメラマンは総じて物知りが多い。勉強している。
 
取材地にかんする歴史、文化、食べ物などの話は知的でもあり具体的で飽きなかった。撮影時にはすばやい身のこなしと一瞬のシャツターチャンスに懸ける姿勢に感動した。それで娘の結婚式はTさんに撮影をお願いした。素晴らしく丁寧な写真集になったのは言うまでもない。
 
取材先に向う時、よく司馬遼太郎の「街道をゆく」が話題になった。それが直接役に立ったのが、種子島郷土史家のインタビューだった。この方は司馬遼太郎の島の案内人で、この旅には薩摩の陶芸家・十四代沈 壽官も合流した。このグループの豪快な宴会模様も聞いた。
 
作家・Fさんのブログ「行逢坂」に大阪の「司馬遼太郎記念館」を見学してきたとある。ある種の感動を受けたようだ。司馬の種子島紀行で、伝来した二丁の鉄砲の一本は紀州根来に渡ったと知った。鉄砲時代に突入する。種子島紀州海路の上をほぼ等(なぞ)ってプロペラ機で伊丹空港に戻った。