桜に「はしゃぎ過ぎないで」

 昨日昼過ぎに通った自治会公園の一番大きな桜が六分咲きに輝いていた。もっとも日当たりの良い場所なので、すぐに周りの樹々も開花する。公園は一挙に華やぎ、ベビーカーの親子や孫をつれた爺さんなどがのんびりとくつろぐことだろう。桜が咲くとその周辺は圧倒的な明るさと安らぎが充満する。厳しい冬から解放され、新たな季節の到来を喜ぶ。
 
 学生時代に見上げた札幌・藻岩山の山桜も美しかった。そのことをA先生に話し続けたら、「喜びすぎですね」と一言。あとから思うに、「みんなと一緒にはしゃぎ過ぎるな」の意味が込められていた。今朝の朝日be版「サザエさんをさがして」に、戦前の国定教科書・「高等小学読本」に「桜花」の一文が載っていて「日本民族論」が述べられていた、とある。
 
 磯野家一家も浮かれすぎているようだが、さように日本人は桜が好きだ。ナショナリズムの象徴かどうかはこの時代にはほとんど置き忘れられてしまったようだ。依然として桜好きの自分だが、それでも花を見上げるとA先生の静かな一言が浮かぶ。先生も桜を毛嫌いしていたわけではない。二人で満開の円山公園を談笑しながら散歩したこともある。