「人生の価値」

 〈「見えません」、「どうした」、「右眼の視野が狭くなっていきます。どんどん黒くなって」 恐れていたことが現実になってしまった。網膜が剝離しはじめたのだ。しかも急速に。〉
 
 沢木耕太郎朝日新聞に連載する「春に散る」が今月末で終わる。この若きボクサーは失明するだろう。わたしの場合はすぐ手術してもらい、幸運にも完治した。視力をなくすことは生命情報の大きな部分を喪失する。この小説タイトルは暗喩(メタファ)だった。光を失くす。闇へ。
 
 昨夜のNHKクローズアップ現代+」は終末医療で臨床宗教士の必要さを説いていた。死期が迫った患者や遺族に対して、公共性のある立場からの専門的な心のケアを行う宗教者のこと。宗教や宗派にかかわらず、布教伝道をすることもないのが特徴だ。
 
 人の多くは実は自分の人生を意義あったものとして、肯定しながら死んで行きたい。医師や看護師、家族には言いにくい「死ぬのは不安」、「死んだあとどうなるのか」など患者の心のゆらぎを臨床宗教士はひたすら聞きいれ、「大丈夫」と最期まで看取って上げるのが役割だ。
 
 昨日来訪した浦和のMくんと「人生の価値」について話し合った。真面目にこんな話を交わしたのは初めてかも。もちろん解決などなく、自分が語った言葉で己の本音を確認していく繰り返しだった。それぞれが「何のために69年間も戦ってきたのだろう?」、と。「夕暮れ時に、光がある」(ゼカリア14:6-7)、そう望む。