〝飛び上がり〟の時代

 驚くほどの小春日和。愛猫(雌、19歳)をリードにつないで玄関前で日向ぼっこ。ピーカン無風で空気が乾いている。きょうは朝から3回も外に出てたっぷり日光浴した。テレビ報道が煩(うるさ)過ぎて、世の中が〝飛び上がり〟になっている。
 子どもの頃、母親によく忠告された。「〝飛び上がり〟になるな」と。浮かれすぎてとんでもない失敗をするな、の意。お調子者ですぐにテンションが上がる傾向があった。それで手痛い失敗もしてきた。いまはその高揚感がなつかしい。
 社会ニュースも企業ニュースも下向きつづき。われわれの時代にそんな不祥事が実行されてきた。もちろん清濁の中に事実はある。だが、かつて目指して来たものはなんだったのか? そんな疑問すら抱いてしまう。体調のせいもある。
 基本的なアイデンティティ(存在意義)を求めるほど未来は不透明になる。現実と魂のくいちがい。貴乃花親方は魂の問題として見つめているように思う。「山、山、雲」、峰の上に立てば別の峰が塞がり、それをよじ登れば雲海が広がる。
 彼をだれか師が導いてほしい。解決方向を示してあげてほしい。貴乃花が〝飛び上がり〟の時代に魂を追究する人間として、分かったのだから。次の言動一手で貴乃花への世間の是非が大きく分かれる気がする。