マンガン船が空襲で沈められた

 わが郷里、北海道・古平町も空襲を受けた。小学生のころ古平港沖に一本のマストが海面から突き出ていた。昭和20年7月にマンガン鉱石運搬船が米軍機により撃沈された。マンガンは兵器をつくるため鉄を鋼にするのに必要だった。
 
 古平の山奥に稲倉石鉱山があり良質のマンガン鉱石を採掘していた。最盛期は全国一の産出量を誇った。鐵興社が運営していて、マンガンは山形・酒田市に運ばれていた。沖合いに突き出たマストは子どもたちに“何か”を伝えていた。
 
 稲蔵石鉱山からリフトで港まで運ばれてきた。当時の町を代表する産業の一つだった。大きくなって戦争映画をみた時に空襲の無惨さを知った。マンガン運搬船の乗組員がやられた。その空襲の恐ろしさを町の人がときどき口にした。
 
 街並みに近い山の川ぞいに複数の防空壕があった。狭い入口から覗くが暗くて見えなかった。叔母が「コウモリの巣になっている」と教えてくれた。神社では招魂祭が行われ、多くの戦死者の名前が読み上げられた。遺族が泣いていた。