市川團十郎逝く
浅草・浅草寺の本堂裏手に「暫」像がある。この像は、「劇聖」と賞賛された明治時代の歌舞伎役者、九代目市川團十郎(1838~1903)の歌舞伎十八番「暫(しばらく)」の銅像だ。現在の像は、十二代目市川團十郎(1946年生まれ)襲名を機に復元された。歌舞伎愛好者のみならず、多くの人たちに親しまれている。
大正8年(1919年)、江戸歌舞伎ゆかりの地、浅草の浅草寺境内に名優九代目市川團十郎の「暫」の銅像が作られた。この銅像は近代彫刻の先駆者・新海竹太郎氏の傑作であり、歌舞伎の象徴ともいわれていた。しかし、第二次世界大戦中の昭和19年(1944年)11月30日金属回収のため、この「暫」の銅像も供出の命を受けた。
現在の「暫像」を制作したのは、品川区南大井にある立体写真像という銅像・胸像制作会社である。昭和61年(1986年)11月3日に除幕式が行われた。当時、小生が勤めていた会社がこの立体写真像の広報を担当していた。盛岡公彦社長(現・会長)に取材が入るたびに、立ち会っていた。
十二代目市川團十郎は「暫像」の完成時に立体写真像の本社・工場を訪れて、出来具合を確認した。あの威光を放つ大きな目で、盛岡社長の説明を聞きながら「暫像」を見上げていた。そして、社長の顔を見て微笑んだ。後日、浅草寺での除幕式に臨んだのである。浅草寺の裏手の庭はもちろんお寺の周り一面にマスコミとファンが詰めかけて大賑わいになったものだ。見事に晴れ上がった日だった。
團十郎さんの訃報を報道で聞きながら、あのときの精悍な顔と大きな目を思い出している。彼は当時、四十歳であったはずだ。ほぼ同世代、早すぎた死を惜しむ。享年66歳。