「切れるような見出し」

   この数日間、読売新聞に作家佐野洋氏の追悼文が相次いで掲載された。今日も「編集手帳」で取り上げていて、佐野氏の柔らかな人柄について触れている。小生は若い頃ほんの少しだけその推理小説を覗いただけで、愛読者ではなかった。これまでの記事によると、当時の読売社内にはその後に作家や歌人、文芸家になった人たちがかなり多くいたようだ。
 
 これらの記事を読んでいて、昔、お世話になった報知新聞の木村謹吾さんを思い出した。自分がまだ20代後半の頃だ。木村さんはそのとき文化部にいて、当時日本専売公社(現JT)関連の取材で富士宮市に行くのに担当者としてアテンドした。新宿からの高速バスで往復の際、さまざまな話を聞かせてくれた。元々優しい人柄だったが、話し方も穏やかだった。
 
 往きの話でこころに残っているのは、木村さんが丸山健二氏の大ファンだということ。丸山氏の心理描写と文体は独特のものであり、ますます磨きがかかっていくだろうと熱っぽく語った。このときは思わず木村さんの顔をみてしまったことを今でもはっきり覚えている。木村さん自身が、そうした文章を目指しているのだとはっきり分った。とにかく「本を読む」ことを薦められた。
 
 帰りも文学の話を聞かしてくれた。木村さんが報知新聞に入社した頃、整理部に「切れるような見出し」をつける記者がいた。他紙を含めてもその鋭い言葉遣いは群を抜いていたという。その記者は、退社後に文芸評論家として活躍した秋山峻氏であったという。「切れるような」と表現した木村さんの感性にはまったく納得させられた。それから秋山氏の本をけっこう読んだものだった。