岩谷時子さん死去

   作詞家・岩谷時子さん死去についての記事が各紙で取り上げられている。朝日社会面の写真「日生劇場でリサイタルを前に会見する越路吹雪さんと岩谷時子さん」(1966年12月10日)は、二人の笑顔が好ましい。岩谷さんは、1980年に越路さんが亡くなるまで約30年間、マネジャーをつとめた。
 
 今朝の読売「編集手帳」は、「言葉の指で聴き手の胸にそっと触れる。そんな人だった」と追悼の賛辞を贈っている。いい表現だと思う。この二人の姿を入社当時から数回見ていた。最初に担当したパレスホテルでは、クリスマス・ディナーショーといえば「越路吹雪」に決まっていた。
 
 この越路ショーのチケットはいつもすぐに売り切れた。次の年の予約をする人も多かったとホテルの担当者から聞いていた。しかし、70年代の越路吹雪さんはすでに体調を崩していた。ステージが始まる少し前にご主人の作曲家・内藤法美氏と岩谷時子さんに両脇を抱えられながら舞台裏に入った。
 
 ステージが開幕すると越路さんは一転、あの凛とした独特の世界を歌い上げた。自分がさきほど目にした姿からは想像ができない力ある情感で聴く者を魅了した。内藤氏が構成・指揮する舞台であり、岩谷さんは舞台の袖で静かに見守っていた。プロの世界とはこういうものだと初めて理解した。
 
 余談だが、パレスホテルの「越路ショー」の前座が、森田公一とトップギャランだった。売れる前のこのグループが一生懸命に「青春時代」を歌っていた。その後、爆発的なヒット曲になった。