それぞれの「myユーミン」

   ユーミンが昨夜のNHKニュースウオッチ9」で、大越キャスターのインタビューに答えた。デビューアルバム「ひこうき雲」から40年。自分の曲を聴いてくれる人に「キラキラと生活してほしい。そうなればわたしの役割が果たせているのかな」と述べていた。「自分の立ち位置は変わらないけど、時代が変わっていくから自分も変わっていく」とも語った。大越さんは「みんな、myユーミンをもっている」と言った。
 
 1994年秋、溜池のかつての東芝EMI会議室で、ユーミンの新曲説明会(「春よ、来い」)に出た。女性向け商品大手メーカー約10社の広報担当者が対象だった。ジーンズ姿のユーミンは一人で現れて、簡潔に新曲を説明し、気さくにこう話した。「わたしは人が集まっているところには行くようにしている。そこには特有の空気があり、エネルギーがあるから」。そのことを社内報に書いた。
 
 経営新聞の記者時代に、某社の副社長にインタビューした。同氏は「ユーミンのステージは毎年必ず観にいく。つねに新しいものに挑戦する姿に、経営者としても、個人としても得られるものは大きい」と繰り返した。この発言に自分もどこか共感できた。やはり、絶え間ざる変革がなければ衰退するだけで、ブレークスルー(突破)する力は出ないのだ。
 
 ユーミンが高校時代から麻布台の「キャンティ」に出入りして、オーナーの川添梶子さんから可愛がられていた話は有名だ。1960年開店のこのイタリアレストランには三島由紀夫黛敏郎、ミッキー・カーチス、かまやつひろし安井かずみ加賀まりこなどがサロンをつくっていた。若い時代に狸穴(まみあな)で吸った空気がユーミンの曲の源泉になっている。