若者を突き放せ―

  今朝の日経「春秋」、朝日「天声人語」を読んでいて、少し違和感を覚えた。一見、適切な提言にも見えるが、このスタンスが「年配者(シニア)の上から目線」なのだ。こうした我々大人の物分りの良さそうな押し付け、期待が今の社会をだめにし、若者たちをだめにしてきた。自分たちが成功者であるとの視点が見え隠れしている。それらは誇りか驕りかは別にして、むしろ若者たちを社会から遠ざけている。
 
  「春秋」▼この正月休み、久々に高校のクラス会に出てしばし時間を忘れた。思うようにならぬことの多さを知り、思いもかけぬ幸運にも出合い、人は大人になる。▼人生も世の中も、何が起こるか全然わからない。働き方も家族のかたちもどんどん多様になるだろう。クラス会に集まった面々からはそんな声が上がった。ならばさまざまな価値観を受け入れ、若者がしなやかに生きられる社会を目指すとしよう。シニアにとっても、そのほうが心地よいに決まっている。
 
  「天声人語坂の上の雲をめざした明治時代に「青年」という言葉は生まれ、広まった。戦後の高度成長期からは、「若者」がさかんに使われだしたという。まぶしかったその「若者」も、いつしか古びた語感を帯びつつある。▼先行世代の繰り言は世の常として、進んで社会とかかわり、自分たちで時代をつくる大人になってほしい。青年や若者に続く新しい群像の呼び名を、世に広めるような。
 
 口だけの中途半端な手助けなど、しない方が若者たちの成長を進化させる。もうはっきりと彼らを突き放そう。そして、大人たちは黙々と若者たちの穴埋めだけを続けていく。指導や助言を求められても拒否する。口に出した時点で、本物度が暴露される。そんなシニアの役割こそが新しい社会のキーワードになっている。