広報活動は30年後に実を結ぶ

昨日の朝日「ひと」欄の記事を読みながら、自分が生業(なりわい)としてきた広報活動が、世の中で普及するまでに30~40年かかるのだと改めて実感した。
 
6月に経団連の次期会長に就任する東レ榊原定征会長は27日、米倉弘昌現会長と共同記者会見を開いた。「榊原氏が社長就任した02年、東レの業績はどん底だった。米ボーイング社に航空機向け炭素繊維を売り込み、収益事業に育てた。ユニクロとヒット商品『ヒートテック』を共同開発し、高機能素材というジャンルも確立した」(朝日1/28付『ひと』)。
 
31歳の時、大手町に新ビルを建てた三井物産が社内テレビ「モーニングフォーカス」を毎朝定時放映することを決めた。当時在籍したPR会社が協力することになり、小生がキャスターの読むニュース、解説原稿を書くことになった。平日は毎朝9時に同社広報室メンバーと打ち合わせをして、11時放映までに毎日2、3本の原稿を書き上げた。正確さはもちろんスピードが勝負だった。
 
週に1本程度「特集」という番組があり、そこでグループ会社・東レが開発した「炭素繊維」を取り上げた。軽量化が実現できれば将来は航空機に使われる。そんな主旨だった。それが30年後に実現している。24歳の時、会社が「フレックスタイム」を導入した。当時、田村電機が米国から導入を図った制度で、それを理解するため当社約150人が試行した。
 
以後、硬軟いろいろなプロジェクトに関わってきた。ドックフード「チャム」の発売開始ではペットフードについて研究し、ドッグショーで愛犬家にインタビューを行った。今やペットブームの真っ只中にある。全日本マカロニ協会のキャンペーンで「パスタ料理教室」の実働部隊として普及活動も行った。パスタという言葉がまだ聞かれなかった時代だった。某経済研究所のデータベース作りにも協力した。
 
   コンピュータも最初の大型機輸入時代から広報活動を行った。今やモバイル全盛で、ウェアラブル(身につけられる)端末に発展しつつある。今後、人工知能との組み合わせでコミュニケーションの定義すら変わることになるだろう。ips細胞然りだ。思いつくままに書き連ねたが、広報マンはいつも黒子なので表には登場しない。しかし、奥深い仕事だ。そう自分を納得させている。