「春告魚(ニシン)が届いた」

   昨晩届いた北海道の鰊(ニシン)は大振りの立派なものだった。「着いたよ」と電話をしたら、義弟が「古平町沖で獲れた鰊だ。まだ陸(おか)に寄って来ていない」と述べた。まもなく積丹半島のどこかの浜で、海を白濁する「ニシンの群来(くき)現象」が見られるはずだ。地元新聞は「群来」の航空写真を載せて、北国に春が近いことを報じる。鰊は春告魚なのだ。
 
 古平町は自分の故郷だ。祖父も父も叔父たちもみんなニシン漁に関わって生活してきた。わたしが生まれた頃からニシンは獲れなくなった。「一夜萬石心が躍る 暁(あ)けりゃ鰊の鱗が光る」時代が終焉した。ニシンの請負場所として300年ほど栄えてきた町は、ニシンの数の子からやがてスケソウダラの鱈子(タラコ)生産に舵を切っていった。
 
 かつて演歌の世界で、沖を見つめてニシンが来るのを待ちわびる老人の設定があった。「あの夢よもう一度」という期待と諦めが相反する姿を浮かび上がらせていた。「数の子」が金の山を生んだ時代のことだ。ニシンバブルは二度とあり得ない。それでもこうして「ニシンが獲れた」と聞かされると、心がときめく。漁師の息子のDNAがたしかに騒ぐ。
 
 今日の夕食は送られてきたニシンを焼いて食べる。昼ごろから自然解凍して少し塩で引き締めて強火で焼く。大根おろしをたっぷりつけて脂が乗った身を一気に頬張りたい。この年齢になると、故郷の味はありがたい。ところで沖合いにいるニシンの群れはいつ、どこの浜に寄ってきて産卵するのだろうか。いま、群来るタイミングと安全な産卵場所を探している。