「失言」のことわざ
各紙の看板コラムはいずれも「言葉」をテーマにしている。朝日「天声人語」は「要職にある人の言葉が、昨今どうにも軽い」と指摘。しかし、これは「昨今」ではなくて、昔から政治家はいつもそうだ。読売「編集手帳」は恒例の「サラリーマン川柳」。
毎日「余録」/「ことばを言った、矢を放った、手紙を書いた、罠(わな)に落ちた」はタタール人のことわざ。一度口を出たことばは取り返しがつかないとのことわざは世界中にある▲「言ったことばは投げた石」(ブルガリア)、「口から出たことば、手から落ちた卵」(エチオピア)、「ことばには羽がある」(スウェーデン)……▲ポーランドの「ことばは小鳥となって飛び立ち、牛になって戻ってくる」もある。
日経「春秋」/「▼今年もまた異動や転勤の季節がやってきた。モンゴルの遊牧民は、引っ越しに特別の感情を抱かないそうだ。年に4回も移動するのだから当然だろう。日本人ひとり当たりの所有物の数は約1万個だが、モンゴル人は約3百個だという。▼「放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない」「百歳の人はいないが千年の言葉はある」。モンゴルの格言である。物に執着しない人々は、その代わり言葉を大切にするという。言葉とは、心の記憶であり想念であろう。見習うべきかもしれない」
産経抄「英語の通じない五輪」/▼閉幕が近づいたソチ五輪は、外国人観光客から、「英語の通じない五輪」と酷評されているそうだ。駅で厳重な持ち物検査をする警察官のほとんどがロシア語しか話さないというのだから、トラブル続発も当然だ。これまで多くの外国人を迎え入れた経験がない都市とあって、やむを得ない面もある。▼それにひきかえ、東京は世界有数の国際都市である。2020年の東京五輪を機に、日本が観光大国の仲間入りをする期待も高まっている。なんとか「英語の通じる五輪」の評判を勝ち取りたいものだ。幸い、戦後何番目かの英語ブームはすでに始まっている。観光庁も、観光地の外国語表記の統一に乗り出した。