吉野梅郷(東京・青梅市)

   「青梅の梅園、見納め」と昨日の朝日一面に写真入で載っていた。夕方のTVニュースでも報道された。「木を弱らせるウイルスを除去するために1,200本の梅をすべて伐採する。3年経過した後、また梅を植えて梅の名所を復活させる予定だ」という。このニュースを観ながら、一人の親友を思い出していた。彼は残念ながら60歳で亡くなった。
 
 かつて社会経済生産性本部(現・日本生産性本部)の「生産性新聞」編集長を長く務めた塩田正昭氏だ。彼とは40歳ごろからの付き合いで、大変お世話になった。45~55歳までの10年間は同紙編集委員に起用してもらい、取材、執筆活動に取り組んだ。この仕事はそれまでと異なる方向から企業や経営者を見ることになり、人生の大きな収穫を得た。
 
 彼が「青梅の吉野梅郷に行きましょう」と誘ってくれた。15年ほど前で、まだ二人とも元気だった。満開の梅林の坂を上り下りしながら、二人でさまざまな話をした。その日の計画はすべて塩田さんに任せてあった。そのあと吉川英治記念館を見学してから、多摩川の水際に降りて、流れに足を入れたりしながらまた続きを話し合った。暖かな日だった。
 
 昼過ぎてから青梅線で御嶽(みたけ)駅まで行き、彼が知っている駅の近くの古い料理屋に入って酒を酌み交わした。この地には彼の愛した画家・川合玉堂美術館があった。その日は休館日だったので、そばの喫茶店でコーヒーを飲みながら彼の話を聞いた。いつも穏やかに話す彼だが、音楽や絵画について話す時は少しだけ高揚した。後日、立派な「玉堂画集」が届いた。