「天安門事件」とベンチャー企業

 6月4日は自分にとっても忘れられない日だ。「天安門事件きょう25年」、今朝の各紙は国際面で報じている。あの日、わたしはクライアントの「国際経済情報センター」のH社長からすぐ来てほしいとの連絡を受けた。「中国との連絡が取れなくなっている」。いつもクールなH氏の顔は緊張感でこわばっていた。
 
 わたしは25年前の1989年2月に独立、3月友人Kさんの紹介でH氏に会った。「国際経済情報センター」を4月から設立して「中国情報」を大手企業にFAXサービスで提供するという。今後、中国の経済発展は必死であり、その魁として情報のパイプ役になりたいと熱く語った。三回ほど話し合いをして広報活動の契約をした。
 
 H氏は当時28歳だったが、リクルート出身でそのビジネス感覚はユニークだった。同センターにはすでにPCが何台も置かれ、その脇には中国の新聞・雑誌が山積みされていた。「契約した顧客に中国の最新ニュースを即提供する」とのビジネスモデルだった。「ユニークなベンチャー企業」としてマスコミが注目した。
 
 そこに、「天安門事件」が発生した。H氏は腹心の部下を北京に派遣していた。徹夜の電話でのやり取りで、中国情勢が断片的だが入ってきた。テレビでは混乱の模様が報道されたが、経済の動きは一部の新聞・通信社も苦労していた。知り合いの新聞記者・経済誌編集者に取材を要請。マスコミ取材は螺旋的に広がった。
 
 「北京情報、ベンチャー企業が速報で提供」、こんな見出しの記事が相次いだ。当時はベンチャーブームの創世記だった。この波に乗って、中国経済情報の迅速な提供ビジネスは世の中に浸透した。5年後、情報誌を発刊した同センターは急速にしぼんだ。情報誌で儲けるつもりが赤字を累積させて、会社は解散した。