Tさんの母上、そして父上

中国・西安から一時帰国中のTさんと昨日、再会した。母上が100歳なので、兄姉たちとお祝いの会を開くという。Tさんは娘さんと一緒に今月下旬に札幌に行く。彼は千歳市側の恵庭市・島松の出身だ。昭和20年生まれで、現在、西安日本語教師をやっている。
 
母上がご存命で100歳の宴席と聞いて羨ましかった。親が亡くなって兄弟が久しぶりに集まるケースはめずらしくないが、このような生前の「一族再会」はふつう願ってもかなわない。今回の3泊4日の北海道行きは彼の人生に大きな意味を付加してくれると思う。
 
Tさんは中国・海南島生まれで、戦後引き揚げてきた。生後半年で、乗った貨物船は佐世保に入港した。それから母上の出身地である島松にやってきたという。戦後直後の混乱期に無事に帰国できたから、今の人生がある。彼は海南島に行き、出生の地を確認している。
 
昨夜初めて聞いた話。父上は潜水艦の副艦長で、乗組員向けの新聞も発行していたそうだ。特務機関(日本軍の特殊軍事組織)で大尉だった。諜報、宣伝広報などを行うインテリジェンス機関だ。かなり優秀な人物だけが選抜されたはずである。
 
   「父の作ったガリ版刷りの新聞の数年分を自分が持っている。かなり傷んできたが、書かれている内容ははっきりと分かる。今度、お互いに時間があるときに見てみますか?」、彼は尋ねた。「ぜひ見せてもらいたい」、私は喜んでそう返事した。