「男にとって女は砥石(といし)」

 講談社文庫で今月出た「昭 田中角栄と生きた女」を読了。角栄の「愛人」で「越山会の女王」といわれた佐藤昭の一人娘・佐藤あつ子が著者だ。あつ子は角栄から認知されていない。父・田中角栄と母・昭の複雑な生き様を彼女の目から描いた貴重な記録だ。
 
 自分は田中角栄が好きだ。それはおそらく社会人になった翌年(昭和47年)に総理大臣になり、昭和49年に退陣したことによる。当時、大手石油企業担当だったこともあり、原油価格高騰の危機と政治の観点から政局を注視していた。社内顧問からレクも受けていた。
 
 彼の生き様はあの時代をもっともよく反映していて、今から考えても参考になる。彼は現在の日本の基盤をほぼ形作った偉大な政策立案者であった。その田中角栄が昭和49年に「文藝春秋」立花隆による「田中角栄研究~その金脈と人脈」などで追い込まれた。
 
 角栄の動きをあつ子は多感な少女の視点から眺めていたことが分かる。もちろん母である佐藤昭の表と裏の姿をも交錯した気持ちで細かく書きとめている。周りの人間がどんな時にどのようにして寄って来て、離れていくのか、このあたりの情報はきわめて面白い。
 
 解説を書いたのは早野透元朝日新聞コラムニスト。彼の「田中角栄 戦後日本の悲しき自画像」(2012年、中公新書)は優れた一冊だ。かつて早野氏の「女とは?」との質問に、「男にとって女は砥石だ」と答えたという。いかにも角栄らしい。