我が「新幹線50年」

   東京オリンピックの直前、東海道新幹線が開業した。今日で満50年。北海道・余市高校二年生の我々は、五輪閉幕後すぐに修学旅行にでかけた。夢の超特急・新幹線は憧れだった。東京駅から動き始めたら「オー!!」と歓声を上げた。団子鼻の0(ゼロ)系は光っていた。光陰矢の如し。
 
 17歳だった我々が67歳になった。50年間、それぞれが自ら乗った列車で苦楽を味わいながら終着駅に向けて最終コーナーに入っていく。乗り合わせた人は数え切れず、恩を受けた方々は自分の誇りになった。参加できないが10月4日、恒例の同級会が定山渓温泉で開かれる。
 
 同級生のK君から新幹線社内誌「ひととき10月号」(グリーン車用)が届いた。「東海道新幹線の半世紀」を特集。丹念に読みながら新幹線におせわになった30代、40代の頃を思い出した。O部長とはいつも出張帰りにウイスキーのミニチュアを窓際に並べられなくなるほど飲んだ。
 
 15年前に、「産業観光」を提唱するJR東海須田寛会長(現相談役)に取材することになっていた。二日前に秘書から「急に出張が入った」と連絡。「会長は明日午後なら電話取材に応じると言っているがー」。即30分の電話取材を頼んだ。須田氏は40分間ほど丁寧に説明してくれた。
 
 「昔から製造業が盛んな東海地方の産業技術・施設を日本人全体の共有財産にしたい、それが人の移動につながり、日本の産業振興・観光振興に拍車をかける」と力強く訴えた。その後、理念は「愛・地球博」(愛知万博)で実現した。いまだ屈指の日本プロデューサーの一人だ。