「マッサン」支えたのは余市リンゴ

 昨夜、自宅に戻ったら「JR北海道車内誌」が届いてた。札幌の余市高校同級生・加我稔くんからで「特集・余市リンゴとコスモポリタン」が載っている。「マッサン」(ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏)を支えたのが余市リンゴで、その余市リンゴのルーツを紹介している。余市リンゴの”父”はルイス・ベーマーという開拓時代のお雇い外国人である。
 
 ウイスキーは長い熟成期間が必要だ。その間、政孝の資金繰りを助けたのが余市リンゴだった。ジュース、ジャム、ゼリー、アップルワインをつくって売り、ウイスキー完成までを凌いだ。リンゴの納品は農家の自己申告で、政孝はチェックなしでお金を払った。当然、多少の誤差はあったが、実際の支払い金額よりも多くのリンゴが納められたという。
 
 風などで落ちたリンゴは品質が良くても売り物にならないが、政孝はそれらもきちんと買い取った。リンゴ農家は政孝に感謝し、信頼を深めた。ウイスキーの熟成まで雌伏の歳月をリンゴが支えたのだ。この余市リンゴのルーツは、開拓使が米国から輸入して道内の農家に配ったもの。このときに大きな働きをしたのが、ルイス・ベーマーだった。
 
 このベーマーの活躍を掘り起こして解明したのが、札幌拠点の「ベーマー会」だ。加我くんが北大時代の仲間と研究している。ベーマーによる米国から日本へのリンゴの技術移転も、このグループがあきらかにした。余市で実を結んだのは旧会津藩士の赤羽源八の十九号、金子安蔵の四十九号で、二人ともベーマーに直接指導を受けている。
 
 「ベーマーの謙虚さにコスモポリタンの誇りが見える。竹鶴夫妻にも通じるものだろう」と筆者・北室かず子さんは書く。記事に登場する余市町で観光果樹園を経営する山本幸章くん(余市高校同級生)のコメントが印象的だ。「東南アジアでは北国のフルーツが貴重で輸入も盛んだ。彼らにとって日本の果物は繊細なお菓子のようなもの」。ハッチ、いいこと言うね!!