「50年前の修学旅行」

札幌のKくんが書いてくれているブログ「余市高校41会を昨夜読んで、一人で大笑いしてしまった。「50年前の修学旅行」の連載初回で、以下の通り。
 
『昭和39年(1964年)11月5日、余市発6:07の列車で出発しました。兎に角朝が早かったのを覚えています。それぞれクラスの班ごとに、ゴザとヤカンをもって乗り込みましたね。途中長万部で乗り換え、函館に着いたのが12:05。そして青函連絡船に乗り、青森着が16:45。18:30の上野行きの列車に乗り車中泊。翌6日は、上野に8:47到着。皆元気に東京につきました。それからモノレールに乗り羽田の飛行場見学。 その足で鎌倉八幡宮を参拝して箱根で宿泊しています。(忘れてました)。ところで翌日の旅程は覚えてますか。翌7日は芦ノ湖や伊豆を巡って夕方熱海に着いて食事後 夜の23:28の電車に乗り、車中泊し8日早朝の4:10に名古屋にたどり着いてます。矢張り若さですね。今では考えられない強行軍です。(翌日以降は次回に)』
 
笑ってしまったのは、その日程だ。報告にあるようにとんでもない車内泊強行軍だったのだ。少しの場面しか記憶にないのは、そのせいもあるのだろう。9割以上忘れていた。これからK君の報告をもとに枯渇した脳みそを探しあてる必要がある。
 
今朝、Kくんにメールで「何泊何日だったのでしょう?」と問い合わせた。即返信があり、「9泊10日でした」だった。自分では11泊12日だと思ってた。Kくん「ところで出発の朝、古平の人たち(久末も含む)はどうしたのかな?」、久末「自信ないけど朝4時にバスで余市に向ったような…」。古平出身のNくんに電話したが留守電だった。
 
現在の自分はいつも忘却と勘違いの上で右往左往してきたのだ。その連続が俺の人生だと今更ながら気がついた。K君の2回目以降を早く読みたいが、半分怖くもある。 (*41会=昭和41年余市高校卒業の同級会)