松本健一氏訃報に深く哀悼

   経済ジャーナリスト・Mさんから土曜昼、「リベラルって何でしょうね」とのメールをもらった。「最近、リベラルと言われる人たちの雑でいい加減な言動が気になっている。過酷なグローバル競争に対して反対論だけでなく、骨太で大きな視点に立った戦略やビジョンを提示してほしい。今回の選挙は自分とは関係ないところで通り過ぎていく気がする。誰に投票すればいいのでしょうか」。そんな内容だった。
 
 私はこの文章で、10数年前の「マニフェストブーム」を思い出した。日本生産性本部の「21世紀臨調」が提唱した。その後、「マニフェスト選挙」で民主党議席を伸ばして政権を取った。この後が根付かなかった。思いつきの細切れ政策が「マニフェスト」の真意そのものを落とし込めた。民主党がトータル戦略やビジョンを持っていなかったからだ。そもそも「日本人は真のリベラル(革新)になりきれるのか」(?)
 
そう返事を書いた。最後に「松本健一氏が亡くなりました。残念です」と添えた。この思想家(68歳)は同年代で、仕事で何回か彼の講演の抄録作りをやった。鋭い論考は、要約者には書きやすい筋の通ったものだった。幸い「この国の形」を追究してきた著述は多い。
 
 その夜、友人の作家・Fさんがブログ「行逢坂」で、松本氏死去を取り上げていた。
 
68歳、早すぎる死にビックリし、悔しい思いもある。本棚の『北一輝伝説~その死の後に』(1986年、河出書房新社)は何回も繙いた。
 
例えばこんな一節、《鈴木清順の『けんかえれじい』における北のイメージが、まさにその虚空に目をこらして何ものかを「まっ」ている気配だった。(中略)外は雪、カフェーのなかは薄暗く、ストーブのみが湯気をたてて、時間が止まったように静かである。その片隅に(一部略)じっと虚空を見つめている、鋭利な、けれども心優しそうな男がいる。かれはどうも東京の大きな喧嘩に関係を持っているらしい。》

  このあと、『北一輝を暗示する男』を演じた俳優の後日のエピソードに触れ、「かれはこのとき、ロマン的革命家の北一輝と交情したにちがいない。二十歳になるかならぬかのわたしは嫉妬した」と書くのである。このあたりはまちがいなく『詩』であった。

 25年ほど前、塾に勤めていたぼくは二年間娘さんに数学を教えたことがある。その縁で氏や奥さんと話す機会があった。もちろん職務上の閾を出ないものだったが、いまやなつかしい一場面である。心よりご冥福をお祈りします」。