竹鶴威会長、逝去

 「竹鶴会長、亡くなったんだ」。昨夜Yahooで時事通信による訃報をみて、一人つぶやいた。竹鶴威(たけし)氏、17日逝去。90歳。老衰だった。朝ドラ「マッサン」のモデルでニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏の養子で、父とともにウイスキーづくりに励んだ。わたしにはいつまでも「東京余市会会長」だ。凛としていながら笑顔をたやさない人柄に、会員たちはみな慕っていた。
 
 30年前に当時勤めていた会社社長から「余市会があるらしいぞ」と小さな記事を見せられた。さっそく問い合わせたら、担当幹事が池田さんだった。彼は同じ古平町出身で、弟と同級の一年後輩だ。10月当日、新宿センタービルの会場に向かった。池田さんはすぐに竹鶴会長に紹介してくれた。会長は「若い人たちにもっと参加してもらいたいのです」と話された。
 
東京余市会は首都圏在住の余市町関係者が集まる会で、春の総会・懇親会(ニッカウヰスキー本社)、秋の余市リンゴ・ブドウを味わう会(当時は新宿センタービル)が開かれた。わたしはまず余市高校同級生に声をかけ、池田さんから正式案内状を送ってもらった。同級生は常時10人前後は参加し、帰りに新宿駅近くの居酒屋で同級生だけの二次会を行った。
 
 当時のニッカは景気がよかったからお土産も高級ウイスキーが当たったりして、盛り上がった。毎回、70、80人が郷土の話に花を咲かせた。竹鶴会長はいつも控えめながら参加者と楽しげに会話を交わしていた。最後に出席されたのは2010年の蒲田駅近くの宴会場で開かれた秋の会だった。奥様と車で帰宅されたが、それが会長を見た最後になった。
 
 折りしも、「マッサン」余市編が1月から始まるのを前に逝かれた。リタ夫人と威氏は親子としてお互いに支えあいながら暮らした。威氏の生涯もニッカウヰスキーのための一生だった。「マッサンブーム」に終わらずに、ニッカがいつまでも豊潤なウイスキーを生み出し続けることを祈念している。ニッカウヰスキーファンとして、竹鶴ファンとして。