「戦後70年」と1989年

 自分が創業した1989年は戦後日本経済の分岐点だった。昨夜「NHKスペシャル~どう生きた? 戦後70年」を観ながらはっきり認識した。まさに「バブル経済」のピークだった。大晦日の株価は38,954円をつけたが、翌90年1月から下落、「バブル崩壊」に突入する。
 
 会社名は「エイティキュウ」。1989年2月1日から業務開始した。「89」から「エイティキュウ」と社名をつけた。本来ならばエイティナインなのだが、Qちゃんの愛称を活かしてエイティキュウとした。2月22日に「会社設立の会」を開いた。まもなく国内外ともに激動の年になる。
 
 夕方から近くの友人Yさんの会社で開催されたバーティには70人もの友人たちが顔を出してくれた。自分の事務所は狭かったので、会場はそこを借りた。50人程度だろうと予測していたが、次々と来客があり、会場は終始、満員状態だった。
 
 前の前の会社社長・Nさんに「来賓挨拶」をお願いした。彼にスカウトされて8年半仕えた。いくつかの見解の相違もあって退社した。Nさんは「久末が独立する。この好景気は長くは続かないが当面2、3年間は続くだろう。その間に基盤を固めることだ」と述べた。
 
 その警告はみごとに当たった。1973年以来上昇してきた経済成長が、91年には明らかにへし折れた。今年、「戦後70年」を語るたびに小渕恵三官房長官が発表した年号「平成」が浮き彫りになるだろう。1月7日、取締役就任依頼に行ったSさん宅でこの会見を観ていた。「いま公私とも新しい年が始まる」、自らに気合を入れた。