「A先生」追悼

   A先生の奥様に「御手紙とノート拝受」とお礼状を出した。12月25日に受け取った「先生の訃報と往復書簡ノート」の返事が、昨日まで遅れてしまった。何回も便箋を前に書こうとしたが、文字にはならなかった。結局書けたのは、一行おきで便箋たった一枚半だった。
 
 先生に出す手紙の書き出しで「お元気ですか?」、「ご無沙汰しています」などと書けば、そんな手紙は不要ですと断罪された。自分の言葉で心情を書くのでなければ、紋切り型で意味の薄い手紙になってしまう。そのような形式的で、権威主義的な言動をもっとも嫌う先生だった。
 
 大学に入ってすぐの「一般英語」の点呼時に、「ヒサマツくん」と呼ばれた。「違います。ヒサスエです」と抗議したら、「すみません、ヒサスエくん」。それ以来、4年間、公私ともにお世話になった。先生の教え子が東京の会社(国際PR東京)で働いていて、その会社の入社試験を受けて就職した。
 
 今回、8月1日に亡くなったことは分かったが、詳細は手紙にはなかった。そんなことは書くなといわれていたに違いない。群れを嫌い、権威を嫌い、多言、とりわけ褒め言葉を嫌った。勲章も辞退された。熊本出身、肥後モッコスを貫き通した。完成した札幌ドームや冬の円山動物園雪祭り前日の大通公園を二人で歩いた。
 
 先生から英米文学を教わった。先生の頭脳では古典から前衛までの取り組みは日々更新された。その読み込みは深く、ついていけないことも多くあった。しかし、その精神の一部の少しは引き継いだかもしれない。いまの自分の言動の基軸になっている(かなぁ~)。そう書けば、「余計なことをー」と睨まれそうだ!!