「鬼龍院花子の生涯」、木更津で観た

   映画「鬼龍院花子の生涯」は千葉・木更津で観た。「なめたらいかんぜよ」、夏目雅子が土佐弁で切る啖呵が話題になっていた。亡くなった宮尾登美子の原作。1982年の封切りまもなく木更津の古ぼけた映画館に一人で入った。子どもの頃よく行った郷里・港町の映画館のような臭いがした。
 
家人の姉夫婦が袖ヶ浦市に住んでいて、夏には必ず家族四人で泊まりに行った。前日は上総湊で海水浴をしてバカ貝(アオヤギ)を採った。その日は「木更津祭りだから、みんなで行こう」とお兄さんが誘ってくれた。「やっさいもっさい踊り」パレードは夕方からだった。
 
姉夫婦とわが家の家族は、その時間までどこかで遊んでこようと話していた。「オレ、映画に行ってくるから」と、木更津駅出口で一人別れた。映画館は歩いて5、6分だった。観終わって、外に出たら夕陽が眩しかった。いつかもう一回、確認したいところがあった。
 
駅前で皆に合流して、通りを港の方に歩き始めた。やがて踊りの行列がやってきた。さまざまなグループがさまざまな格好で練り歩いていた。蒸し暑い夜だったが、延々と続く踊りのエネルギーが人々を高揚させていた。当時の祭りとしては大きなものだった。
 
自分の横を通過していくグループ前列の一人に目が行った。にこやかな顔をしていたが、只者ではない。そんな直感から、よく見たら浴衣姿の「浜幸(ハマコー)」だった。見直したが、やはりハマコーが祭りのなかに溶け込んで団扇を使っていた。見つめていたら、一瞥された。