<会心のコラムはついに書けなかった>

   今朝の読売「編集手帳」に、「諏訪正人(すわまさと)さんが84歳で亡くなった。毎日新聞で23年間、朝刊1面コラム『余録』を執筆した人である。◆<会心のコラムはついに書けなかった>(2002年6月25日付、毎日新聞)。約6300本の自作コラムを顧みて、そう記している」と書いている。79年4月から2002年6月まで「余録」を担当した
 
 「『毎朝起きると、今日、うまく書けますように、とお祈りしている』−−。8日、84歳で亡くなった毎日新聞社特別顧問で、朝刊1面コラム『余録』の元執筆者の諏訪正人さんはこう語っていた。作家の丸谷才一さん(故人)は、諏訪さんのコラムが文化的な意匠を尽くしていることを絶賛。しかし表面上にその努力の跡は残っていない。政治思想史家の丸山真男さん(同)は『気品がある』と、諏訪さんの文体を愛していた。しかし、その文章は極めて平易である。それ故に諏訪さんのコラムは多くの読者から愛された」。同紙特別編集委員・梅津時比古がそう追悼した。
 
 わたしは仕事についた1971年以来、目を皿にして新聞を読むのが一日の始まりになった。先輩たちから文章の書き方で長い間しごかれた。「書き直し―」の連続の後、80年前後にようやく独り立ちさせられた。この頃の朝日「天声人語」・辰野和男、毎日「余録」・諏訪正人といったコラム筆者は見上げる雲の上の人であった。
 
 読売「編集手帳」は、『「たどり来て、いまだ山麓」の思いを、訃報に重ねる。』と結んでいる。これで、わたしは実在した剣豪の「山、山、雲」という言葉を思った。峰を登った先にさらに山連(やまなみ)がそびえ、さらに登って行ったら雲海でなにも見えない。それでも一歩ずつ前に足を運ぶ。滑り落ちること、数え切れず。雲間から洩れくる光はまだ遠い。そんな書き方をしてたら早死にするから、ブログはゆるく書く。