「冬来たりなば春遠からじ」

 「3月のはじめに『冬来たりなば春遠からじ』という英語の一節を思う」。今朝の読売新聞・「編集手帳」の書き出し。「冬来たりなば―」が西洋の詩人のものだと初めて知った。この言葉には、今でも忘れられない思い出がある。故郷の古平中学校ではかつて毎年、弁論大会が開かれた。自分も何回か出場したことがあるが、壇上に上がっただけであがってしまった。
 
優勝はいつも同級生のN君で、弁舌さわやかな上に必ず「キメ言葉」が入っていた。その最大のものが、「冬来たりなば春遠からじ」だった。美男子の彼がそう語ると、まったくもって説得力のある弁論内容に聞こえた。当然、古平中学で優勝して種々の大会に出場したはずだ。歌舞伎顔のN君は今でも論客だ。
 
自分は「冬来たりなば―」が日本の昔の名言だと思い込んでいた。儒教とか仏教、漢詩などから出ている言葉だろうと。ところが西洋の詩人のものだった。調べたら、英国の詩人パーシー・ビッシ・シェリ(Percy Bysshe Shelley・1792-1822)の詩「西風の賦Ode to the West Wind」(1820)の最後の一節だ。27歳のシェリーの作品で、「西風に寄せる歌」とも訳されている。
 
 The trumpet of aprophecy! O, Wind,If Winter comes, can Spring be far behind?(予言のラッパを吹き鳴らせ!おお、西風よ 冬来たりなば、春遠からじ)。シェリーがフィレンツェで、10月のある激しい西風が吹く日没に一気に完成させた。別の言葉でいえば、「朝が来ない夜はない」、「陽はまた昇る」、「明日があるさ」、「そのうちいいこともあるよ」ってとこかな!!希望はいつも遠くにある。