昨日のブログを一部訂正

昨日書いたブログのことで二通のメールをもらった。一つは作家・Fさんから間違いの指摘であり、もう一つは久喜市のHくんからの感想だった。いずれも友人として最大の配慮をもって書いてくれた内容に、心からありがたく思った。
 
Fさんからの指摘。『「ひとつ気になったのは、この号(「midnightpress」)に登場する新倉俊一は『アメリカ文学者』で存命です。同姓同名の『フランス文学者』がいるようですが。余計なことと思いつつ」。余計ではなく、伏して感謝する。昨朝の流し読みだけで書いたことから新倉俊一氏の確認を怠った。これで新倉俊一=エミリー・デッキンスンのつながりがスッキリした。今後、どこかで大恥をかかなくて済んだ。
 
若い頃、名文家の先輩から「腐ったリンゴ」のたとえを教えられた。「文章は確認、確認、そして確認だからね」。推敲を重ねるとともに、誤字・脱字がないように極限まで神経を使うことが大事だと教わった。リンゴ箱に一つの腐ったリンゴが入っていたら、どんな素晴らしい味でも箱ごと低く評価されてしまう。そういう意味だった。今日から「確認、確認、&確認」をあらためて心に刻む。
 
Hくんからは吉田健一の文章についてだった。わたしのブログの『書いても「一つの線」にならないし、「未来につながらない」』からの連想だった。『この文は最近、吉田健一氏の言葉として読んだような感じを受けました。あるのは現在の自分だけでそれを確認しつつ彼は後半、句読点のない文章を書き続けたと思う。延々と果てしない文章で目くるめく今は迷いながら読んでます。長谷川郁夫「吉田健一」に感動したからです』。碩学!!
 
今朝の読売文化面にある作家・佐藤愛子さん(91歳)の言葉。「現代は、すぐにあれこれ分析して、分かったようになりますでしょ。でもね、生きることに正解などないし、誰かを理解できるなんてことも、思わないほうがいいんです。90年生きて分かりました」。誰もが皆、懸命に生きている。ただ、生きた事実だけで、人生には意味があると、私たちを慰め、励ましている。