辛夷(こぶし)

 昨日とどいた札幌に住む妹からのメールは「花盛り」のタイトル。「通勤途中、桜、辛夷木蓮水仙タンポポまで色とりどり」。ようやく訪れた春の喜びがこちらまで伝わった。ただ、一箇所、「辛夷」の字が読み方も意味も分からなかった。
 
 「こぶし」だった。こんな字を書くんだと初めて知った。先月、近所の何軒かの庭にこぶしの白い花が咲いて、見上げていた。こぶし前線も北上して、いま札幌のあちこちに咲いているのだろう。あの街は多くの花々がいっせいに咲き誇る。
 
 「北国の春」の「♪こぶし咲く北国の…」。Nさんを思い出す。私が上京して就職した会社の上司で、一回り歳上だった。大学のA先生から紹介されて、入社試験を受けた。時事問題、米人社員との英会話、ジャパンタイムズ記事の翻訳は難しすぎた。
 
 Nさんは日大芸術学部東映宣伝部を経て国際ピーアール東京に転職した。三国連太郎プロにも一時所属していた。映画人特有のプロデュース感覚に富んでいた。新聞、雑誌にビジネスマン向けコラムを書き、10冊ほど著書も出版された。
 
 私が独立する前に、Nさんから「自分が設立した会社を手伝ってほしい」と言われて二年間働いた。仕掛けづくりと幅広い人脈ネットワークが優れていた。仲間たちとの夜のクラブ活動で、カラオケになるとNさんは「北国の春」一曲だけを歌った。
 
 私がPRプロデューサーになれた最大恩人の一人だ。映画産業の衰退で、多くの人材がテレビ、出版、広告業界に流れた。そのDNAは今も引き継がれている。映画会社、俳優、スタッフ、担当記者のつながりは「昭和の日本」そのものだった。