安倍演説の「希望」という言葉

安倍首相は「希望の同盟へ」と題する米議会演説の最後をこう締めくくった。
 
 
 「米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。私たちの同盟を、『希望の同盟』と呼びましょう。一緒でならきっとできます」
 
 今回の演説の流れは明らかにアメリカ人が好む文脈と姿勢で貫かれていた。アメリカ人の多くは正義とか、勝利とか、友情とか、希望などの言葉を好む。彼らは「味方」が語るこれらの言葉と態度に対して、疑いもなく賞賛し、評価する傾向がある。
 
今回、安倍演説のキーワードは「希望」だった。その露払いは、留学時代におせわになった寡婦の家主の話、第2次大戦メモリアル訪問での深い悔悟と黙祷、硫黄島の日米関係者2名のエピソード。それらに共感を得てから「希望」を打ち出した。
 
戦略的に計算された演説だった。国内でも分かりやすい演説をしてほしい。官僚作文の曖昧な言葉が多くなったり、形だけ「ございます」を使いながらの切り捨て発言・答弁は悲しい。政治家の語りの貧困さは政治不信を増幅させていくだけだ。
 
今回の「希望」という言葉が、かつて安倍氏が多発した「美しい国、日本」の「美しい」という言葉の同類ならば、国内での言葉としては空虚だ。「戦後70年談話」で、スピーチライターの谷口智彦氏がどんな戦略的スピーチを描くかを注視したい。