佐伯啓思「戦後70年の欺瞞」

   佐伯啓思・京大名誉教授が朝日新聞での月一回連載コラム「異論のススメ」で、「国を守るのは誰か」と題して、問題提起をしている。
 
「現在、野党のみならず多くの識者が、集団自衛権の行使は違憲だといっている。とすれば、日本の防衛はどうあるべきか、という点に移る。もし日米同盟が日本の防衛上不可欠であり、集団自衛権の行使が必要だというならば、憲法改正を提案すべきである」
「しかし、そうではなく、もし憲法の平和主義を堅持すべきだというのなら、改めて、日本の防衛はいかに、という問いの前に立たされる。戦後日本の防衛の核は、事実上、米軍による抑止だったからである。『防衛』という観点からみれば、平和憲法日米安保体制はセットであった。憲法平和主義の背景には実は米軍が控えていたという欺瞞をどう釈明するのだろうか」
「近代国家のもっとも重要な役割は、外敵から国民の生命や財産を守ることである。国の主権者の第一の義務はそこにある。国家には巨大な公的権力が委ねられている。民主政治の元では国民が主権者であるから、国民が自らの手で、自らの生命・財産を守る義務がある。これは極端にいえば、国民皆兵ということだ」
「日本が『平和主義』によって国を守ってきた、というとすれば、それは、日米安保体制から目を背けた欺瞞というほかないだろう。防衛を米軍に委ねる限り、日本は本来の意味で、あるいは厳密な意味で主権国家といえない」
 
ビジネス情報誌「エルネオス」(7月号)の巻頭言「佐伯啓思の賢者に備えあり」でも同様の論評を行っている。「戦後70年続けた欺瞞からの脱却を」と提言している。
 
(日本の戦後は)平和憲法によって戦力を放棄したものの、国土防衛は米軍に委ねるという欺瞞である。従って、経済成長の実現も、かなりの部分はアメリカによる日本の防衛と、日米の親密な関係に依存していた。しかし、この路線は明らかに自明のものではなくなっている。『吉田ドクトリン』に示される戦後のこの基本構造を根本的に見直す必要に迫られているのだ」
「今日の国際情勢が混沌とすればするほど、まずは自主防衛体制を整えることが先決になるだろう。日米同盟はその上でのことだ。人口減少化、ある程度の成熟社会を実現した日本は、もはや経済成長を第一の価値とする社会ではなくなるだろう。一種の町人国家ではなく、政治、軍事、経済、そして文化がバランスの取れた国へと転換してゆく必要があるだろう。これまでの戦後70年の基本的価値観を見直すことから始めなければならない」