「ベーマー会・会報」第4号

 札幌のKくんから届いた「ベーマー会・会報」第4号をこの数日間精読していた。わが国リンゴ栽培の父と言われるルイス・ベーマーについての研究報告誌だ。彼が日米欧で果たした園芸交流やわが国の植物園の大きな礎になっていたことを7人の筆者が読者に教えてくれる。資料としての「北海道植物調査旅行報告(前編)」がまた当時の北海道の様子をつぶさにリポートしていて興味をもった。
 
 巻頭「ご挨拶」で会長のK君はリンゴの流通を取り上げている。「明治28年に、小樽の港からウラジオストックにむけて北海道リンゴが初めて輸出された(余市農業発達史)が、ほぼ同時期に青森や盛岡からも輸出されていたことが記録に残っている。明治12~14年にかけて青森・函館・小樽・ウラジオストックの貨物航路が整備され、ロシア向け海運業務が活発に行われるようになった結果です」。その後、明治35年余市駅が開設された。
 
 小樽への鉄道輸送路によって、余市リンゴが道産リンゴの8割を占めることになった。青森を出た貨物船は函館で米や生活雑貨を降ろして、小樽に回航して余市リンゴを積み込みウラジオに向った。青森で船積みされたリンゴは、小樽港積みのリンゴに比べて4、5日たったものになった。とくに遅い春先まで寝かせておいた北海道産リンゴは新鮮なままで、ロシアの消費者に歓迎されたそうだ。(明治36年から明治41年の輸出量/青森産2.5万箱、余市産4万箱)。
 
 1875年(明治8年)、ベーマーは「北海道植物調査旅行」で、函館を起点に3ヵ月半をかけて日本海沿岸、札幌、浦河、厚岸まで足を伸ばし、再び札幌を経て、函館に戻っている。その中で積丹半島についての記述もある。「積丹は、日本人が煙管や筆などに用いる珍しい竹で有名な場所です。村の上流5マイル(8km)に生えていて、旅人はこの珍しい模様の笹の葉を採って行きます。模様は日本文字で、神々がお書きになったものに違いないそうです」。