「九里」と「十三里」

 和菓子屋さんのチラシに栗のイラストがあった。そんな時期か。じきにM先生から栗拾いのお誘いがあるはずだ。86歳でも奥様を乗せて毎週、東松山市に所有する栗林まで車で関越自動車道を練馬から通う。草取りをしたり、野菜作りをするのが健康の秘訣らしい。当然、栗林の急勾配のところも手入れのために上り下りする。
 
 「体調はどう? 一緒に行けそうか」と声をかけてくれる。子どもが小さかった時から何十回も栗拾いに参加した。友人たちの家族を誘って、肉やサンマを買って行き、おにぎりを頬張りながらBBQを楽しんだ。帰りにM先生は剥いた栗の実を参加家族の数に分けてくれた。秋でもまだ暑い日が多かった。その晩、妻は栗を茹でた。
 
 「栗(九里)より美味い十三里」、とはサツマイモのこと。日本橋から川越・札の辻までが十三里。川越のサツマイモは江戸ではそう呼ばれ、人気があったという。川越・江戸の間は陸路・川越街道、水路・新河岸川でつながり、人と物が行き来した。「小江戸・川越」。川越藩武蔵国一の大藩で、江戸の北方を固める軍事要衝だった。
 
 川越生まれの知人は、「川越=サツマイモのブームに悪乗りして、なんでも芋だ」と不満顔だ。団塊の世代を乗せた観光バスが押しかけて、芋料理や芋スイーツを求めている。一時さびれかけた街がいまは絶好調だ。喜多院や蔵造りの街並みなど見所も確かに多い。九里に近い「八里半」、サツマイモを江戸っ子はそうも洒落た。
 
 今年も元気なM先生夫妻が拙宅に寄ってくれるかもしれない。選んでくれた大き目の栗を栗ご飯や栗きんとんにして、秋の豊穣に感謝したいものだ。九月の足音が聞こえている。さわやかな顔で迎えたい。