札幌・薄野(すすきの)

  昨夜のNHK「ニュースウォッチ9」の天気情報で、秋田県のススキ風景が映った。見事なススキが原で、確実に秋到来だと思った。一昨日夜にも「首都圏ニュース」で男性気象予報士が女性アナウンサーに「薄」の字をなんと読むかと問いかけた。「ススキ」と答えたが、自分は分からなかった。
 
 今月初旬に帰省したとき、小樽から余市に向う途中の塩谷辺りで、土手からススキの穂が垂れ、潮風に揺れていた。気温が30度を越えた暑いこの時期の北海道でのススキの群れにはやはり驚いた。浜風は秋を一足早く連れてくるらしい。秋のススキ前線は北海道から南下する。
 
 札幌の「薄野」はいつから「すすきの」あるいは「ススキノ」と表示するようになったのだろうか。学生時代の市電停留場はたしか「薄野」と書いてあったような気がする。その昔、おそらく大通から南側はススキが一面に連なる原っぱであったのかもしれない。そこにススキノの歓楽街ができたのかな。
 
 学生の頃、薄野の入口に「スケートセンター」があった。現在は大型駐車場になっている。そこから50メートルのところで親戚が小さなジンギスカン屋をやっていた。赤提灯に「大幸」の文字。Aさん夫妻で小父さんがタレなどの仕込みをし、綺麗な小母さんが焼きながら接客していた。
 
 金欠病になるたびに「大幸」に行き、お腹いっぱいジンギスカンをご馳走になった。わたしの学部のN教授はその店の創業時からの常連だったらしい。熊本生まれの厳格な先生で、教室ではいつも怒られていた。幸いなことに、店では会ったことがなかった。本当は見えないところでサポートしてくれる先生だった。
 
 小母さんは叔父の連れ添い(義理の叔母)の妹で、テキパキしていて親切な人だった。このAさん夫妻には本当にお世話になった。ときどき自宅にも呼んでくれて、たくさんご馳走をしてくれた。妻と知り合って半年後に「大幸」に連れて行った。小母さんがとても喜んでくれた。札幌で行った披露宴の時も祝福してくれた。