難儀な桑畑開墾

隠居した楫取素彦(かとり・もとひこ)が萩から移り住んだ場所として、長門市が紹介された。昨夜の「花燃ゆ」で最後の説明だ。「楫取素彦(大沢たかお)が仙崎(現・長門市)の山中で桑畑を開墾して畑をつくった。その後、植林されて楫取山と呼ばれた」と解説された。この話を聞いていて、反射的にM先生の栗林のことを思った。
 
M先生は瀬戸内海の周防・大島出身で、吉田松陰はじめ幕末・維新の歴史研究家として多くの著作がある。奥様は萩出身であり、ご夫妻は長州(周防・長門)にとりわけ詳しい。ただ、「『花燃ゆ』主人公である杉文(ふみ)に関する資料はほとんどない」(M先生)。この件で頼まれる講演は断っているとのことだった。
 
毎年9月初めに「森友山・栗拾い予定」のファクスが届く。週末毎の参加者を調整するためだった。今年も欠席したわが家に多くの栗をいただいた。そもそもこの埼玉・東松山にある栗林は、M先生が桑畑を一本ずつ抜いてつくりあげた。テレビの楫取山の話を聞いて、「森友山」を思った。難儀な桑の根掘りを少しだけ手伝った。