龍馬は真に免許皆伝の剣豪だった

坂本龍馬はやはり折り紙つきの剣豪だった。北辰一刀流から与えられた免許皆伝書が存在したことを示す史料が高知県立坂本龍馬記念館高知市)に寄贈されていた。龍馬はなぎなたの皆伝書しか確認されていなかった。記念館によると、見つかったのは龍馬の遺品預かり書の写しで、一九一〇年八月三十日付。秘伝巻物として「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流長刀兵法皆伝」と記されていた。
 
昨日朝 北海道新聞Web版にそのニュースが出ていたが、すぐに消えてしまった。共同配信記事だなとサンケイ、東京などのWeb版をチェックしたらやはりあった。
 
 これらの記事によれば、坂本家の子孫は遺品展示の後に北海道釧路市で火事に見舞われ、多数の龍馬の遺品が焼けたとされた。二九年五月に東京で開かれた龍馬の遺品展覧会の目録には「千葉周作より受けた皆伝目録は釧路市で全て焼失した」との記述がある。秘伝巻物とされた三つのうち「長刀兵法皆伝」は現存する。預かり書の写しはことし六月、北海道の坂本家の子孫が記念館に寄贈した数百点の史料の精査中に見つかった。現在記念館で開かれている「坂本家・家族の絆」展で十一月一日~来年一月二十二日に公開される予定。
 
 この記事を読みながら神田於玉ヶ池(現・岩本町)にあった千葉道場に想いを馳せた。龍馬は19歳で江戸に出て、名門・千葉道場で四年間、剣の腕を磨いた。於玉ヶ池千葉周作道場は実戦的な剣法だった。周作の弟・定吉が指南した。
 
 於玉ヶ池の千葉道場跡に「ふな亀」といううなぎ料理屋があった。現在は閉店しているらしい。かつて岩本町に会社があった友人のK社長はその店を好んだ。二人で奥の部屋に陣取り、龍馬や司馬遼太郎の話を遅くまで続けた。彼は京都・寺田屋に通っていた。わたしも親しい友人数人を「ふな亀」に誘ったことがある。内装も灯りもなかなか渋い店だった。
 
 於玉ヶ池の千葉道場といえば、赤胴鈴之助だろう。小学生の頃、ラジオから流れるテーマ曲に身を震わせドラマの成り行きに一喜一憂した。吉永小百合さんがこんな大女優になるとは露知らず。可愛い優しい声に口をあけて聞きほれていた。