「寂聴さんの晩節」

我、いまだ晩節に至らず。NHKスペシャル「瀬戸内寂聴93歳」を見ながら、そう思った。彼女は「(晩節を汚さずとは)考えていない」と述べた。すべては書くため。その執念は鬼気迫る。いや、鬼気そのものだ。人生は強弱、陰陽、生死、諸々の葛藤で糾(あざな)われている。
 
寂聴さんは現在、「いのち」の題で書き続けている。病気との闘いを生き抜いた自らの経験を伝えようと、いのちの力を使い切る。筆を置いた後の放心状態を「高揚だ」と言う。そんな執念も高揚も経験したことがない。私には汚す、汚さずに係らず晩節は来ないかも知れない。
 
土曜日の東京ふるびら会の様子を友人・Kくんがメールで報告してくれた。具体的で、詳しく理解できた。それを読みながら、ふと永井先生のことを思い出した。古平小学校4年の時の担任で大変おせわになった。ある課題で何回も自宅訪問して両親と相談してくれた。
 
札幌の妹から以前、先生は札幌市手稲区前田に住んでいるようだと聞いていた。昨夕、「永井○○」と「手稲区前田」でPC検索した。出た。先生は地元町内会の副会長で、「手稲郷土史研究会」会報を編集しているようだ。顔写真も掲載されていた。いつかお会いしてお礼を言いたい。
 
▼ 夜に、中国・西安Tさんから写真4枚が届く。彼が通っている大学のキャンパスと教室風景だ。中国語を勉強している10人近い同級生が、楽しそうに交流している。欧米系、アジア系、中東系など多様な若者たちが学んでいるのだ。このカットは平和を象徴している。Tさんらしい。