「記憶に残る人」逝く

 昨夕取り出した郵便類の喪中ハガキの差出人がMのように見えた。一瞬、悪い予感がした。灯りの下で見たら、さいたま市大宮のMさんが「病気療養中でしたが、先週11日に亡くなった」とご子息からの通知だった。「葬儀は故人の意思により家族のみで執り行った」という。衝撃でとっさに頭は貧血状態に。自分の椅子に座りなおしてもう一度読み返した。病気だったのか・・・ただ悲しい。
 
 今年1月15日に届いたMさんの年賀状―〈「そろそろか否(いな)まだまだかと傘の春」 とうとう八十歳になっちまう! 子ども3人孫8人、わが人生まあまあだった、というべきか……?「追憶」と「独白」の日々を送っています なつかしいなぁ…会いたいね 貴兄のふるさと自慢、また聞きたい〉。 誇り高い美意識を持った編集者だった。言動がまだ子どもっぽいと、私を「Q坊」とも呼んだ。
 
 息子さんの携帯番号に電話した。「ガンが見つかり、摘出後は先月まで元気でした」と話してくれた。「大変お世話になりました。ありがとうございました。そうお伝えください」。心がバクバクで自分が何を言ったのかよく覚えていない。あの丸い笑顔で文章を厳しく指導され、盛り場を肩組んで飲み歩き、自宅にも連れて行かれた。札幌出張では飛行機嫌いの彼にJR「北斗星」で付き合った。
 
 彼の弟分・吉祥寺のMさんに電話した。まだ知らなかったMさんの声がめずらしく裏返った。彼らは編集畑の元同僚で、端麗な文章は似ていた。二人で暫し話し込んだ。「お前ら二人で来いよ、と一言連絡してほしかったよ」とMさんが沈んだ声で悔やんだ。うなずきながら「あの人はけっこう複雑繊細だからね」とつぶやいた。二人とも声が滲んでいた。再会を信じていただけに、残念至極!!