往時茫々

 勤めていた頃は29日で仕事納めが多かった。お昼ごろ社員が挨拶回りを終えて、「お疲れさまでした」と軽く紙コップで乾杯した。そのままじっくり話し込んで飲み続ける人もいたが、オレは先輩Uさんと一緒に新橋・「玉藻」でうどんを食べるか、烏森通りの蕎麦屋に向かった。この先輩は元某新聞社の社会部デスクで、入社はオレより数年遅かった。
 
 一見穏やかな丸顔だったが、あるとき怒ったら凄い迫力だった。ニュー新橋ビル近くのお菓子屋さんで一折買って、タクシーで警視庁に向った。「Qちゃん、ちょっと顔出してくるからつきあえや」。もちろん昔の警視庁の時代だ。入り口から暗い廊下を通って記者クラブ室に入った。各社のブースが連なり、どの机にも資料類が雑然と積まれていた。
 
 「おい、お疲れ様」と奥のデスクにいた人物に差し入れを渡した。後で聞いたが、俺より少し年下の優秀な記者で、かつてUさんの部下だった。二人はひそひそと短く話し、彼はすぐに電話をかけ始めた。同紙が低迷を深めて行った時期だった。我々は桜田門から虎ノ門まで歩いた。熱燗で一息ついてUさんが言った。「彼も年明けに辞めるんだよ」。
 
 Uさんの文章は明快で短かかった。そのリズムを自分なりに会得したかった。書いたものは必ずUさんにチェックしてもらった。自分のクセ(とくに接続詞)をオレは捨てた。200字原稿用紙の書き方も初めて知った。Uさんは美食家でもあり、文学はじめ多くのことを知っていた。もうしばらく年賀状のやりとりもしていない。健在を祈る。思い出はありすぎるが、往時茫々。