「壬生義士伝」・吉村貫一郎の生き様

 昨夜BSフジで「壬生義士伝」が放映された。このブログでも何回か取り上げたが、原作は浅田次郎の同名時代小説。浅田は歴史作家・高橋克彦との対談でこの小説は「二十七、八歳の頃、一度書き上げていた。某社に持ち込んでボツにされた記憶がある。今から思うと300枚の梗概(*あらすじ)を書いたようなものだ」と語っている。
 
 盛岡藩の脱藩浪士で新選組隊士の吉村貫一郎(映画/中井貴一)の息詰まる生き様を描き切っている。吉村は仲間から「守銭奴」と馬鹿にされるほど金に執着し、地元で待つ妻子に仕送りした。同じ隊士の斉藤一(映画/佐藤浩市)と対照的に絡み合いながら物語が進んでいく。浅田が子母澤寛新選組始末記」に感動し、それを超える小説を書こうとの狙いもあったそうだ。
 
浅田は「新選組のメンバーは多かれ少なかれみんな吉村だった。出稼ぎ浪人的な人が多かった。だからこそ逆に、士道、士道と徹底してこだわった。そのなかで、吉村だけがまるっきり本音で生きていた。だからみんなからしゃらくさいと思われ、斉藤一にしても、生かしておけないと思うほど腹が立ったのじゃないか」とも述べている。人はだれしもこの両面をもつ。時と事情で変幻する。
 
先日読んだ浅田の対談集「すべての人生」(幻冬舎文庫)から一部引用した。浅田は自らの作風を「最初から伏線張る癖がある。あざとく、」と明らかにしている。彼の小説を読むと、ストーリーテイラーとしての旨さがまず分かる。江戸っ子の饒舌さが練られて文字に昇華される。人間の尊厳も嫌らしさも彼自身が経験しているのが強みだ。「死んでも人間は家族みんなのそばで見守っている」。彼の持論だと思う。